夢 心 の 名 前 の 由 来
東海林萬之助(七代目当主)は、毎日朝早くから夜遅くまで風味、こく、ともに良い酒を何とかして造ろうと、酒造りの研究に没頭し、寝食を忘れて働いていた。そんなある夜、萬之助の夢枕に「我は『朝日稲荷』なり、汝の心掛け殊勝なり、酒造りの秘伝を伝授すべし。」と酒造りの方法を教えられた。早速その通り試造してみると香り、こくともに稀なる芳醇な銘醸を得ることができた。萬之助は近郷近在つどい寄って皆と、この美酒に酔い喜んだ。その名声は、会津一円はもとより県内外にまでもてはやされるに至った。これは神のおかげと思い『朝日稲荷』がどこにあるか、八方手をつくして聞いたところ、岩瀬郡須賀川のほとりにあるのが分かった。感謝と報告をかねて酒樽を背負い徒歩で喜多方より須賀川の朝日稲荷に辿り着く。酒樽を奉納し感謝の真心を捧げる。 しかし、旅の疲れのため社頭でうとうとと眠ってしまった萬之助の夢枕に、神が現れこう言った。「よくぞ詣りしよ。汝の造る酒に『夢心』と名づくべし」。時はあたかも弥生(3月)の頃、東の空に朝日が輝き、中庭の「中丸桜」の花は満開と咲き誇り、花の色の鮮やかさにしばし陶酔の境地にひたる。吹くそよ風が桜の花びらを中空に舞いひろがらせ、そしてそれは一瞬にして落下し、あれよあれよというまに全身が花びらにつつまれた。何とも形容しがたき満足感、神の御加護のありがたさと、うれしさに感動が全身にみなぎり、瑞喜の涙が頬をつたう。かくして夢よりさめ商標を『夢心』と定め桜の花をあしらうようにした。想うに朝日は東海より昇るもの、朝日稲荷と東海林家とは因縁浅からず。夢枕にたった神のお告げにより、美酒が生まれた。今でも朝日稲荷神社の春秋の祭典には昔を今に忍び、御神酒をお供えするのがならわしとなり今日に至る。古き伝統による近代的な設備から醸しだされる清酒『夢心』の栄は、朝日の昇るが如し、瑞祥と言うべき。 朝日稲荷
朝日稲荷
須賀川市朝日稲荷神主の談話より
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